古文の読み方(6)

古文(古典)の学習は、「音読で始めて、音読で終わる。」を信条とし、「専修(せんじゅ)音読」「只管(しかん)音読」の実践を旨とします。ただひたすらに「音読する」ことです。※ページ末の注釈を参照

つれづれと(ふり)(くら)らして、しめやかなる(よい)の雨に、殿上(てんじょう)にもをさをさ人少なに、御宿直所(おんとのゐどころ)も例よりはのどやかなる心地(ここち)するに、大殿油(おほとなぶら)近くて(ふみ)どもなど見たまふ。

読みづらい漢字に「かな」を振ったので、声に出して読むのは、誰でも出来るでしょう。小学生でも高学年であれば、問題無く読めるはずです。
では、文の「意味」はどうでしょう?

「分からない」「いや、分かるかもしれない」「分かりそうで分からない…」「ところどころ分かる」と感想は人それぞれでしょう。でも

「何となく分かる」

というのが、日本語を話す私たちの共通の感じではないでしょうか。
この「なんとなく分かる」、そして「分かりそうで分からない」といった感じ、つまり現代の日本語との「異なり」と「違和感」を感じ取って、自身で納得するような「読み」を工夫していくことが大切です。

今一度、下の文を声に出して読んでみてください。

(1)つれづれと(ふり)(くら)らして、
(2)しめやかなる(よい)の雨に、
(3)殿上(てんじょう)にもをさをさ人少なに、
(4)御宿直所(おんとのゐどころ)も例よりはのどやかなる心地(ここち)するに、
(5)大殿油(おほとなぶら)近くて(ふみ)どもなど見たまふ。

一文を5つに分けてみました。前よりも読みやすく、意味もとりやすくなったのではないでしょうか。
わかりにくそうな単語を辞典で調べてみました。

  • つれづれ:孤独で物たりなく寂しい気持ち。退屈な気持ち
  • 降り暮らす:日が暮れるまで(雨や雪が)降り続く
  • 殿上:平安京の御所にある清涼殿など
  • をさをさ:ほとんど
  • 御宿直所:宮中にある宿直所。宿直(とのゐ)
  • 大殿油:油の灯火

単語の理解を持ったうえで、下の文を読んでください。[ ]内は読まないで、各段を独立した文として読んでください。

(1)つれづれと(ふり)(くら)らす。[て]
(2)しめやかな[る] (よい)の雨。[に]
(3)殿上(てんじょう)にも[をさをさ]人少なし。(に)
(4)御宿直所(おんとのゐどころ)も[例よりは]のどやかな(る)心地(ここち)する。[に]
(5)大殿油(おほとなぶら)近くで[て] (ふみ) [ども]など見る。[たまふ]。

[ ]内を読まなければ、ほぼ現代語です。
こうしてみると、古文は決して理解できないものではなく、単語や表現にズレはあるものの、現代のことばにつながる紛れもない日本語であることが実感できます。つまり、古文を読むことは、自身の身に付いた日本語を反省しながら、新たな理解と表現を試みる機会でもあるのです。

古文を読む要領は、上の例のように、小さな<意味のまとまり>で捉えて、その具体的なイメージを心に浮かべながら読むようにすることです。目の前の情景や事態をこころに<感じた>ままに書いた(語った)のが古文です。私たちの日常会話でも、文の脈絡などは気にせず、思いついたままに話すのが普通です。古文は、そのような<語られたもの><話されたもの>が基調になっています。
文字の後ろには、作者の、また物語の人物の「声-おと」があり、その声を丁寧に聞き取るように読むのが古文理解の要領です。

次の和歌は、百人一首にも載る小野小町の歌です。自分なりの調子をつけて、詠んでみてください。

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
  • <はなのいろは…>:「花の色」…こころでイメージする。それはどんな色…
  • <うつりにけりな…>:「うつる」…?写る?移る? 花の色が移る…
       ※「はなのいろ・は/うつり・に・けり・な」でまとまったイメージ
       ※「花の色はうつりにけり」なぁ~。気がついて感銘しているのか?
  • <いたづらに…>:「いたづらに」…いたずらに時を過ごす…の意味?
       ※「いたずらに…」…どうなる?…どうする?次の文への予感や期待が…
  • <わがみよにふる…>:「わが身」は自分のこと… 「世にふる」??
       ※「ふる」?漢字では、「降る」「経る」「振る」… 私の身が「世に降る」「世に経る」「世に振る」… しっくりくるのは「世に経る」か?時間の経過…
       ※「わが・み/よ・に・ふる」でまとまったイメージ。でも「後ろの語に係っていく感じ」が残る。「世にふる・ながめ」とも捉えることができる。
  • <ながめせしまに…>:音感として「ながめ・せし・ま・に」か?
       ※「ながめ」は「眺め」だろう?「せし」は「する」と捉えると「眺めている間に」という意味になるが?「に」で終わっているのは「眺めている間に」どうなったの?どうしたの?という問いを感じさせる。

以上、和歌を詠みながらのこころの動きを想像してみました。
この歌にはちょっとした仕掛けがあります。「ながめ」は、「眺め」と「長雨」、そして、「ふる」は「経る」と「降る」のふたつの意味で使われていて、『長雨に打たれて色あせた花を見ている自分』と『身(容貌)の衰えを嘆いている自分』が歌われています。

和歌は散文と違って、上から下に直線的に読んでいくのではなく、<語>や小さな<意味のまとまり>を「おとの余韻」で総合しながら、重層的に読み取っていく表現形式と言えます。

そのような意識をもって、もう一度この和歌を詠んでみましょう。
改めて詠んでみると、実際の「おと」の感覚は、下記のようになるのではないでしょうか。発声された一拍を(●)、休みの拍を(○)で示します。

はなのいろは  |うつりにけりな |いたづらに   |
●●●●●●○○|●●●●●●●○|●●●●●○○○|

わがみよにふる |ながめせしまに |
●●●●●●●○|●●●●●●●○|

実際には、下記のような発声になるのが多いのではないでしょうか。

はなのいろは  |うつりに けりな|いたづらに   |
●●●●●●○○|●●●●○●●●|●●●●●○○○|

わがみ よにふる|ながめ せしまに|
●●●○●●●●|●●●○●●●●|

日本人が持つ「おと感覚」としては、ほぼ上記のようになるでしょうか。小さな意味のまとまりを「休拍○」で分けて、今読んだ文の内容の吟味と、次の文への予想を思い計っているのではないでしょうか?

また、書かれた和歌を見ると、57577の句のつながり(順序)も比較的「自由である」ことが分かります。

いたづらに、ながめせしまに、はなのいろ、うつりにけりな、わがみよにふる
はなのいろ、ながめせしまに、いたづらに、うつりにけりな、わがみよにふる
いたづらに、わがみよにふる、はなのいろ、ながめせしまに、うつりにけりな

などの組み合わせも、強引ですが可能です。

このことからも、小さな<意味のまとまり>を捉えて、それを重層的に心の中で組み立て、イメージすることの大切さが分かります。
このやり方は、和歌だけでなく、古文を読む時も同じです。平安時代の物語は、「うたものがたり」とも言われ、和歌を中心に物語が進行します。源氏物語には795首の和歌が大切な場面で歌われています。


注釈:
専修音読:浄土宗開祖、法然の「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」のパクリ
只管音読:曹洞宗開祖、道元の「只管打坐(しかんたざ)」のパクリ

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