「歎異抄」を音読する(1)

「歎異抄」音読の第1回です。

「歎異抄」を朗読する、もしくは他者の朗読を聞く前に、自身の声で音読してください。歎異抄の文字をしっかり見て、それを自分の声にして、自分の耳に、自分の心にとどくように音読してください。音読を繰り返し、こころからの理解が深まれば、それは自然と朗読になります。音読が出来なければ、朗読は出来ません。また他者の朗読をしっかり聞くことは出来ません。
歎異抄の真意は、ひとえに自身の口でこころから「南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)」を称える(称名(しょうみょう)念仏)お誘いであります。

歎異抄(異なることを嘆く抄)は、親鸞の弟子、唯円(ゆいえん)の嘆きの書です。
常陸(ひたち)国で親鸞に師事した唯円は、師が京へ帰った後、国では親鸞の教えとは異なる説教がはびこり、京に親鸞を訪ねて、師の教えの確かなることを確認します。親鸞の死後、耳の底に残る「親鸞の声」を聞き取るごとくに書き記したのが「歎異抄」です。

歎異抄
序 ひそかに愚案(ぐあん)をめぐらして、ほぼ古今(ここん)(かんが)ふるに、先師の口伝の真信(しんしん)に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思ふに、幸ひに有縁(うえん)の知識に依らずんば、いかでか易行(いぎょう)の一門に入ることを得んや。(また)く自見の覚語をもつて他力の宗旨(しゅうし)を乱ることなかれ。よつて故親鸞聖人の御物語の(おもむき)、耳の底に留むるところ、いささかこれを(しる)す。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと。云々(うんぬん)

一 「弥陀(みだ)の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生(わうじょう)をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこる時、すなはち摂取(せっしゅ)不捨(ふしゃ)利益(りやく)にあづけしめたまふなり。
弥陀の本願には、老少・善悪(ぜんまく)のひとをえらばれず、ただ信心を要とすと知るべし。そのゆゑは、罪悪(ざいあく)深重(じんじゅう)煩悩(ぼんのう)熾盛(しじゃう)衆生(しゅじゃう)をたすけんがための願にまします。しかれば、本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと」云々。

一 「おのおの十余ヵ国のさかひをこえて、身命(しんみょう)をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。
しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文(ほうもん)等をも知りたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしまして(はんべ)らんは、大きなる誤りなり。もししからば、南都北嶺(ほくれい)にもゆゆしき学匠(がくしょう)たち多くおはせられて候ふなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよく聞かるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられ参らすべしと、よき人の仰せをかぶりて、信ずるほかに、別の子細なきなり。
念仏は、まことに浄土に(むま)るるたねにてや(はんべ)るらん、また、地獄におつべき(ごふ)にてや(はんべ)るらん。総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然(ほふねん)聖人にすかされ参らせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自余(じよ)の行も励みて(ぶつ)になるべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし。
弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊(しゃくそん)の説教虚言(きょごん)なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導(ぜんだう)の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか。(せん)ずるところ、愚身(ぐしん)の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、また捨てんとも、面々の御はからひなりと」云々。

一 「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、『悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや』。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣(いしゅ)にそむけり。そのゆゑは、自力作善(さぜん)の人は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土(ほうど)の往生を遂ぐるなり。
煩悩(ぼんなう)具足(ぐそく)のわれらは、いづれの行にても生死(しょうじ)を離るることあるべからざるを、憐れみたまひて、願をおこしたまふ本意(ほひ)、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因(しょういん)なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして、悪人はと」仰せ候ひき。

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