「土佐日記」を音読する
「土佐日記」の始まりの段を音読しました。
土佐守の任期を終えた紀貫之が、934年12月21日に土佐国司館を出てから、京の自邸に着くまでの55日間の旅日記です。
当時の貴族の男性は、漢字で、つまり漢文で日々の記録を付けていました。貫之は、それを女性が書いたと仮構して、当時の女性が使っていた「仮名」で書きました。
それは、後に女性の手による「蜻蛉日記」、「和泉式部日記」、「紫式部日記」、「更級日記」などの「日記文学」への道を開くことになりました。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。それの年の
ある人、
都いでて 君にあはむと 来しものを 来しかひもなく 別れぬるかな
となむありければ、帰るさきの守のよめりける、
白妙の 浪路を遠く ゆきかひて われに似べきはたれならなくに
こと人々のもありけれど、さかしきもなかるべし。とかくいひて、さきの守、今のも、もろともにおりて、今の主も、さきのも、手とりかはして、酔ひ言ごとに心よげなる言して、出で入りにけり。
都へと 思ふもものの かなしきは 帰らぬ人の あればなりけり
また、あるときには、
あるものと 忘れつつなほ なき人を いづらと 問ふぞ 悲しかりける
といひける間に、
かく別れがたくいひて、かの人々の、
をしと思ふ 人やとまると 葦鴨の うち群れてこそ 我は来にけれ
といひてありければ、いといたく
棹させど そこひも知らぬ わたつみの 深きこころを 君に見るかな
といふ間に、楫取りもののあはれも知らで、おのれし酒をくらひつれば、はやくいなむとて「潮滿ちぬ。風も吹きぬべし」と騒げば、船に乘りなむとす。
このをりに、ある人々、折節につけて、漢詩ども、時に似つかはしきいふ。またある人、西国なれど
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